脳の活性化?
今回も「脳の中の人生」茂木健一郎著 中公新書ラクレ を読んで気になったことをメモしていきたい。
「ど忘れをすると確かにイライラするが、思い出そうとしているときに、脳が活性化している感覚があることも事実である。なかなか読み出せない記憶を一生懸命引き出そうとする中で、脳がさまざまな手段を総動員している感覚がある。だからこそ、疲れるのである。
イギリスのオックスフォード大学のペンローズ教授が提唱している、『創造することは思い出すことに似ている』という仮説が、ど忘れの効用を考える際のヒントになる。ペンローズ教授は数学者だが、『数学の証明を考えているときの感覚と、ど忘れしてしまった知人の名前を思い出そうとしているときの感覚は似ている』」と書かれていた。
つまり、この例からいうと、ど忘れしたらとにかく必死に思い出せということだ。
そうすることで、脳を活性化させよう。
このごろど忘れが多くなってきているので、ちょうどいい脳のトレーニングになりそうだ。
ちなみに、ど忘れの場合、おもい出し方は人それぞれだとは思うが、いつもどうしても思い出せないときは、「あ」から順番に「あ○○○」「い○○○」といってなんとか思い出している。
本当はもっとスマートに行きたいが、もともと話したり、聞いたりしている言葉なので、耳から入れ直してみると思い出す。
つまり、そのようなタイプの人は、いま流行の音読で何かを発想する方法があっているのかもしれない。しかし、音読で発想とは実際にはどうしたらいいのだろうか・・・?
独り言!ということか???
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ある種のアクションゲームは脳にいいらしい!?
今回は「脳の中の人生」茂木健一郎著 中公新書ラクレ を読んで気になったことをメモしていきたい。
「アメリカには、ゲームをやることによって視覚情報の処理能力が高まる、という研究をしているグループもある。特に、複数の『敵キャラ』が画面で同時に動くようなアクションゲームが効果的らしい。視野の中のものを見渡して、同時にいろいろと動くものを認識、判断する能力が高まるというのである。このような実験結果は、イギリスの『ネイチャー』をはじめとする権威ある科学雑誌にも報告されている。」と書かれていた。
なるほど、ともすると日本ではゲームは悪い物のような扱いを受けているような気がするが、なんとネイチャーにそんな事が載っていたとは・・・
これから、認識を改め苦手なアクションゲームでも、たまに息抜きでやってみようかと思う。どちらかというとアドベンチャーゲームやロジック的なパズルの方が好みではあるが、好きな物や得意なものは、脳が汗をかかないから、実際には多少苦手さがあるアクションゲームの方がいいのであろう。
そういえば、昔のスーパーマリオも最後まで行ったことがなかった・・・
というより、アクションゲームで最後まで行ったゲームはもともと無かった・・・
だから、RPGやアドベンチャーゲームを好んでやっていたのを思い出した。
今度こそ、最後まで達成してみようと思う。
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ティータイムその15
このごろ思うことがある。スローリーディングという言葉が頭の中に浮かぶ、それはファーストリーディングに反する言葉であり、時代に逆行するようなものだ。
しかし、物事の本質的な善しあしはその時代にはわからず、時を経て後から違った解釈になることもよくあることであり、速読も例外ではないかもしれない・・・
そこで、ある種の速読などは、本の内容の何割かしか重要なことが書かれていないと言っており、その部分を押さえて速読することで、早く1冊の本を読む事ができ、その手法もポイントにもしている。
それはそれで、ある意味本に書かれている重要な事を理解するという事のみポイントにした場合は正しいとも言える。
しかし、セミナーや研修を例に考え直してみると、違う考えもある。
それはセミナーや研修で、何かを学び何かを得るのであるが、単に知識だけなら、先ほどの速読でいうところの一冊の本の重要な分部のみ理解すれば事が足りるのと、なんら変わらないと思うが、セミナーや研修では、そこに参加した人たちとネットワークを築くことや、その場で聞いた内容を鮮明に記憶することができるし、話の内容以外にも収穫となることが多々ある。
本来読書もそうなのではないだろうか?
それは、著者にもよるとは思うし、本の書き方にもよるとは思うが、伝えたい重要な事をわかりやすく伝えるために、色々な手法でアプローチしたりしている。
つまり、あまり重要でない分部は、重要な分部をより理解できるようにするための布石となっていることも多々あると思う。
たとえば、商品の品揃えを考えてもらいたい。なんらかの販売の仕事に携わった方なら、わかると思うが、売れないような色目の商品や売れ筋ではない商品も陳列することと思う。
それは、その脇役があるから、主役が目立つので、結局主役が売れる。もちろん、趣味趣向が異なる方もいるので、その方々にも対応できるとというものだ。
また、音楽もそうだろう。さびの部分だけであれば、すぐに飽きてしまうだろう。
小説だってそうだ、たとえば、推理小説の最後の種明かしの分部だけであれば、その推理小説の核心の分部は理解でき、普通に読んだ人と話をしても、取りあえず対応することは出来るだろが、読んだ満足感はあまりないだろう。
つまり、重要、売れ筋、さび、核心などの中心にあたるものは、脇役であり主役に花をもたせる存在があってこを、十分に主役が主役であり得るわけだ。
そろそろ話しを戻すが、ある種の速読は、そこを飛ばすわけなので、人によっては十分な理解をすることが怪しくなってしまうことも考えられる。
その結果、その読書自体から何かを得て、そこからさらに発展させ新しい何かを生み出すなどという芸当は難しくなってしまうのではないだろうか?
またそれは、単に知識を得るということになるだけではないだろうか?
何だか話が複雑になってきたので、ここで一度整理したい。
つまり、著者の意図したように、ストーリー展開された本(小説の事を言っているのではないビジネス書など)を、ゆっくり(これはファーストリーディングに対するいみでゆっくりと表現しているが普通の読書速度の事を指している)読んでいる最中に、自分の想像力を働かせ、本に書かれている内容を十分に理解し、これは無意識ではあると思うが、さらに自分の持っている何かと組合わせることで、新しい可能性を脳の中に作っていく。
その為にも、スローリーディングの必要性も大きいのではないかと思う。
もちろん、これは全ての速読について否定するものではない。
あくまでもスローにはスローの良さがあるのでは?といいたいだけだ。
とここまで書いて、ふと思い出した。
速読だからこそ理解力が上がる場合があるということだ。
たとえば速読や速度を早くして音声を聞くことで、(速○という言葉は商標の関係で使えないので・・・)普段使われない脳の領域が使われて、その結果、より理解力がますこともあるというものだ。
また、速読手法自体に、いろいろな技術を用いて、総合的に理解力がますような速読手法を取る場合もある。
つまり、ゆっくり楽しむ旅もあれば、急いで目的地にいく旅もあるということだろう。
まあ、どちらにしろ独り言ということでご勘弁いただきたい。
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ハイポニカ農法から考える
今回も「生命の暗号」村上和雄著 サンマーク文庫 を読んで気になったことをメモしていきたい。
「ふつうの植物の栽培には土が不可欠です。土に根を張り根から養分、水分を取って生長していく。太陽の光も空気も必要ですが、作物の栽培でいちばん重要視されているのは土というのがこれまでの常識でした。
ところが、このハイポニカ農法を考案した野沢重雄さんは、『植物は土に根を増やしているために、潜在的な成長力が一定におさえられている』という逆発想の立場から、土から解放して、自然の恵みを十分に受けさせることにより、普通の千倍もの実をつけるトマトを育て上げてしまったのです。野沢さんはトマトの立場に立って考えることができる人でした。
これはどういうことかというと、トマトの生命力でさえもふつう人間が考えているよりも、もっとはるかに素晴らしい能力を持っていたということなのです。」と書かれていた。
そういえば、以前聞いたことがあったように思うが、その当時はヘーすごいな程度の感想であった。それは単にトマトのことだからで、今改めて考え直すといろいろと思うところがある。
たとえば人間で言うと、少しでもいい学校に入り、少しでも大きな会社に就職するというのが、少し前の・・・いやいまでもそうかもしれないが、一般的な常識だろう。
つまり、トマトはいい土壌で一般的な良い環境で育てることと同じであろう。
しかし、トマトは全然環境で違う育て方をした結果、思いもしないような成果を上げるこになったわけだ。
たとえば、自閉症やアスペルガー症候群でも比較的に軽い症状をしめす子供たちがいる。
そのような子供達を普通学級にいれて、なんとか遅れずについていかせることにこだわる親も多いと思う。
それが、ごく一般的な考えであり、間違えとは言えないが、その子供の特性にもよるだろう。
ある子供は、普通の一般的な社会についていくことが、結果的に良い形になることもあるだろうし、またハイポニカ農法のような全然違った育て方であっても、その子供にあったいい環境を用意する事ができれば、とてもすばらしい事が起こるかもしれない。
しかし、どうすればいいか、あるいみ誰もわからない。もちろんスポーツ解説者のように、結果を見てからいうことは簡単だが・・・
本当に分かるとすれば、親が一番分かる環境にあると思うが、また逆に親であればこそ、そのような普通と違う事を嫌う人も多いと思う。
特に親は社会の中で、社会の一員として生きている人ばかりだと思うので、その他大勢と異なるということを極端に嫌うであろう。日本人ならばなおさらのことだと思う。
ただ、その子に本当にあっている環境は、どういう環境かを見つけることが出来る親になるには、いつもその事を考え、周りに振り回されない強い信念と、情報収集、ネットワーク、観察眼、幅広い知識などが必要だと思う。
そして、そのような環境を見つけることができても、実際に行動に移せる親がどれだけいるかは、また気になるところではある。
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遺伝子は平均値へ向かう???
今回は「生命の暗号」村上和雄著 サンマーク文庫 を読んで気になったことをメモしていきたい。
IQが高い親同士が結婚すると、ふつうよりIQが高い子が生まれるかというと、そうではなくて、かえって両親より低い子が生まれやすい。逆にIQが低い者同士が結婚すると、IQの高い子が生まれてくる可能性が高まる。理由はわかりませんが、遺伝子は平均値へ向かう傾向があるのです。
確かに、天才といわれる人の子供は天才ではない。
ただ、そこには別の遺伝子(配偶者)が絡んでくるので、当然といえば当然と思う。
親子両方とも天才というケースは、ほとんどないだろう。
しかし、「IQが低い者同士が結婚すると、IQの高い子が生まれてくる可能性が高まる。」とあるが、自分自身は聞いたことがない。
本当だろうか?どうも違うような気がしてならないがどうだろう?
IQの低い親と思われる親の子供は、親自身があまり子供に勉強を強要しないためか、それほどIQが高いようにも思えない子も多いのではないかと思う。
もちろん比較するものがIQでない場合は、平均へ向かう例はよくあると思う。それは反面教師にするような場合が上げられるだろう。
たとえば、気が短い親の子供は気が短いかもしれないが、短気で失敗している親を見て、自分はそうならないように気を付けるケースや、穏やか過ぎる親で情けないと思って育った子供は、気が強くなることもあるだろう。これは環境要因であり、遺伝的要因ではない。
この本では遺伝子について言っているので、このケースは該当しない。
今後IQについて、気にして調べてみたいと思う。
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ティータイムその14
このところこのブログをサボり気味だ。
忙しいせいもあるが、何となくいい感じの本に出くわしていないということもある。
その為か、以前購入した本を等を整理していたら、ウオークマンブックなるカセットテープの本を朗読した物が、多量に出てきた。
たしかこのカセットテープは10年程度前の物だと記憶している。
久々に聞いてみると、データは古いものの内容的にはしっかりしているようで、いまでも役に立つようだ。
いくつかピックアップして、いろいろと聞いているところだ。
本は読むのもいいが、聞くのもいい。脳の違う部分を使っている為か、同じ本でも違う捉え方ができるような気がする。
もちろん、読んでから聞くか、聞いてから読むかでも違うとは思う。
そんなこんなで、これから少し聴覚に注目して、いろいろとやってみようと思うようになった。
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100点から減点する日本?
今回も「勝者の思考法」二宮清純著 PHP新書 を読んで気になったことをメモしていきたい。
日本では、なぜかトレードは「放出」ととらえられるケースが多い。マイナスイメージなのだ。一方で、メジャーリーグでは戦力補強の手段と考えることの方が多い。アメリカでは、球団のシビアな経営方針によって、しばしば、信じられないような選手がトレードに出されることがあるのだが、これもむしろ獲得する側の補強というプラス方面で受け取られる。
翻って日本の場合、ファインプレーを増やすよりも、ミスを少なくする方に価値を見出す。トレードは「放出」。出世競争における足の引っ張り合い、引っ掛け問題--すべてはマイナス思考から発している。もちろんこれは、野球の世界に限ったことではない。
なるほど、野球でも日本はマイナス思考か・・・と思ってしまった。
80点を取っても20点間違えたととらえる事の多い日本・・・
きっとアメリカだと80点も取ったと思ってもらう事ができるのだろう(と思う)。
これは大きな差だ。まずプラス評価されることで、さらにやる気が起きる事の方が多い。日本はどちらかというと、けなしてやる気をださせるような手法ばかりではなかっただろうか?
もちろん、学校や先生、家庭環境によって異なるとは思うが、多数の子供はきっとマイナス思考、や減点法というようなマイナスに向かってのベクトルで評価されているのではないかと思う。
だから、日本は一つのミスで人生が終わったかのような気になる人が多いのだろう。
もともと0点からのスタートであれば、何か失敗しても、また0点に戻るだけであるのに、100点から始まるため、下手をすればいくら努力しても100点、一度の失敗でいきなりマイナスされ、60点とか70点になり、他のライバルはなにもしなければ100点なので、なんか取り返しがつかないような気になってしまう。
本当に、これこそマイナスである。
この国民性ともいうべき考え方を何とかしたいものだ。
もちろん、いつものお断りで、このケースに当てはまらない方も多数いることとは思う。
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短所をなおすか、長所を伸ばすか、それが問題だ。
今回は「勝者の思考法」二宮清純著 PHP新書 を読んで気になったことをメモしていきたい。
「三原野球と卯木野球を比較したとき、共通点としてよく指摘されることは、『選手の欠点を直して平均化するよりも、長所をの伸ばして武器にしたほうがよい』という考え方である。卯木は変則投法の野茂秀雄や変則打法のイチローを開花させた。巷設にあるようにほかのチームだったらフォーム矯正で二人ともだめにしていただろう。」と書かれていた。
そうよくこのブログでも書かせてもらっているが、とくに軽度で自閉傾向のあるお子さんをお持ちの親御さんは能力の平均化を好む傾向が多いだろう。もちろんそれが間違えとは言い切れない。
しかし、平均化するために、得意なことを強化せず、苦手なことばかり練習や勉強させられたら、自己有能感はまったくなくなってしまうのではないだろうか?
その結果、ある年齢に達すると、多少他人と自分の違いに気がついてきて、自分は違うダメなのかもしれないという自己否定感がどんどん育ってしまう。
もし、得意分野を伸ばしてあげることができれば、野茂やイチローとはいかないかもしれないが、サバン症候群のように、とてつもなく絵が上手かったりし、それで将来食べていけるようになるかも知れない。
ただ、無責任に得意分野を伸ばせとはいいきれない。
それは社会で生きていくためにはある程度のルールとマナーが必要であるのは、周知の事実である。
いくら天才肌だとしても、世間知らずの嫌われ者では、さすがに生きてはいけない。
そのあたりのさじ加減を親御さんはよく見て、お子さんを導いてあげることができればといつも思っている。
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ティータイムその13
今年ももうすぐ終わり、2006年になる。
今思えば子供のころノストラダムスの大予言を信じていたことを思い出した。
そして、2000年問題・・・
色々と何かがあるのではと思うことが続いていたが、このところ何年かは、特に取り立ててそよのうな形のものは無いようだ・・・・
しかし、鳥インフルエンザの問題や、エイズの治療の問題など、今後おそってくる驚異や未解決問題も多々ある。
小さなお子さんがいるご家庭では、心配ではないだろうか?
特に海外で正月を過ごされる方に、鳥インフルエンザにかからないよう注意が必要とのことが、TVのニュースで流れた。
多分ごく一般的な人は、自分はかからないから大丈夫と思う方が多いのだろう。
自分なら、絶対に今年はいかない。特に危ないとされる地域はなおさらである。
よく車のドライバーで自分は注意しているから、事故にあわないと思っている人が多いような気がする。
そこで、自分が目の前で見たことをお話したい。
雨が降る幅6mほどの道路で、信号が赤になり停止線まで約20mほどあったところにちょうどコンビニが左手にあった。先頭車がコンビニに入ろうとしたが、2番目の車は、信号までいって止まると思ってよそ見でもしていたのであろう。
その1番目が入ろうとしたそのとき、2番目の車は急に気がついてハンドルを右に切って対向ラインへハンドルをきったものの、1番目の車の右後部にぶつかり、対向ラインに飛び出し対向車と正面衝突してしまった。
ちなみに3番目の車に私がいたが、距離が多少あったので無事であった。
これは信号で止まるまで1番目の車がゆっくり進むと2番目が勝手に思いこんでいたのと、小雨が降っていたので、視界が悪かったのと、信号が変わったことで、ゆっくり走行していた1番目が、コンビニに急遽入ろうと思いついて、急にハンドルを切った事が重なったと思われる。
これでついていなかったのは対向車で、1番目の車は大きいワゴンのため、その対向車からは、後ろの状況が全くみえなかったと思う。
つまりその車の脇を通り過ぎようとしたとき、突然目の前に2番目の車が表れたということだ。
もし、この対向車にのっていたら、多分だれが運転してもひどい事故になったことだろう。
つまり、自分は運転が上手くて注意しているから平気、なんてことは絶対にないということだ。
それと同じで、今回の海外への渡航について、「自分は鳥インフルエンザにかからない」なんてことは絶対に言い切れないと思うが、心配しすぎだろうか・・・
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四~五歳以前に絵と文字を教え込まれた子供の不思議な絵?
新装版 「子供の絵の見方、育て方」 鳥居昭美著 大月書店を読んで気になったことをメモしていきたい。
「四~五歳以前に絵と文字を教え込まれた子供は、はなしことばの力をゆがめられ弱められるために絵の内容が貧弱になり、イメージが結べない気の毒な子どもになってしまうのです。」と書かれていた。
実際の絵もそこにはあった。
たしかに、ひらがなと数字だけで画用紙に大きな字で二〇文字程度書かれていた。ちょっと不思議な感じの絵?であった。それは問題という気がしないでもないが、いつも思うことがある。
なんで、人と違うと問題だとか、気の毒などどいわれないといけないのだろうか?
気の毒か気の毒でないかは、本人が感じた場合そうなるのであって、他人に決めてもらうことではないと常々思っている。
たとえば、逆上がりが出来なく、ものすごく努力しても出来ない子供がいたとしよう。
それをみて、気の毒と思う人もいるかも知れない。
あんなに頑張っても出来ないなんて、かわいそうだ・・・と。
しかし、当の本人は全然そう思っていないかも知れない。それどころか闘志を燃やしさらに頑張っているのかもしれない。
ただ、本人がこんなに努力しても出来ない自分に対して、疲れイヤになった場合、気の毒といわれてもいいと本人も思うかもしれないが、前者だった場合は失礼もいいところだ。
また、はじめから、出来ないことを何とも思っていない場合だってある。
だから、他人からはそのような言葉は言わない方がいいと思っている。
言葉尻を取っていろいろと言って申し訳ない気もしないではないが、あまりそのような言葉は使わないで欲しいと思っている。
本題はこのことではないので、話を戻しておきたい。
今回は、先に絵や文字を教えることについてである。
このことについては、ちょっと違った角度から考えてみたい。
さて、あなたがゴルフをしたことがないと仮定しよう。
以下のケースについて考えてみたい
1.きちんと器具を購入しレッスンプロについてもらい、初歩からきちっとゴルフを学ぶ
2.取り合えず、他人からもらった中古クラブを持って、ゴルフ練習場で適当に打ちまくる
パターン1:よくゴルフで問題になるフォームをきちんと最初から学ぶことが出来るため、あとあともあまり困ることはないだろう。
パターン2:パターン1に比べると、打ち方はバラバラでどこへ飛ぶかわからないが、フォームを矯正されることもないので、自由に振り回せるので、当たれば楽しいかもしれない。
しかし、ここで考えておきたいのが、運動神経の問題だ。運動神経がいい場合は、パターン2でも楽しく練習する事ができ、それなりに上達するであろう。
それに比べ、運動神経があまり良くない場合、パターン2だと、空振りばかりで全然楽しくなく、かえって危険ですらある。
それでは運動神経がいい場合のパターン1はどうだろうか?
これは、当然うまく行くので楽しくやっていけるだろう。教わったとおりにやれば、いい球筋でボールが飛んでいき、満足できるだろう。
それでは、運動神経が良くない場合のパターン1はどうだろう。
そう、運動神経が良くない場合は、このパターン1でやるしか上達する道はあまりないと思われる。
整理すると以下のようになる
運動神経がいい場合:パターン1-上達も早く楽しく練習出来る
パターン2-とにかく楽しく適当に遊べる
運動神経が良くない場合:パターン1-このパターンでしか上達出来ない
パターン2-うまく行かず面白くなく危険ですらある
つまり、取りあえず打ってみるが、後の上達も考えて成り立つのは運動神経がいい場合だけだ。
さあここで、話を戻してみたい。
手先が普通に器用で紙に何か書くことに対して抵抗がない子供なら、自分で好きに書かせるのもいい気がする。
それに対して、不器用であまり書きたがらない子もいるのでは無いかと思うがいかがなものか?
当然、うまく書けなく(クレヨンなどを扱えなく)書きたがらない(書くのが好きではない)子もいると思われる。
そのような子供は逆にほっておいて勝手に書き始めるまで待つか、それとも手伝って書く楽しさを教える方がいいのか?
この場合は、大人がリードして教えるという場合が多いだろう。
もちろんこの書籍でいいたいことは、無理に大人の絵と文字を教え込んだ場合のことであるので、単に上記の様なケースを想定しているものではない。
その上、教え方という事もあると思うので、この辺のことはまた後ほど機会があれば考えてみたい。
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